第百十二夜 梅雨ってなんでしょう?

alpinix2004-06-02

id:shi_moさんのところで私の私見を論じてもらっていたようです。ありがとうございます、といってまたリファを返す・・・無限連鎖ですね。いちいちgoogleなどの検索エンジンの結果にこだわるのは宜しくないと、いう主旨のようですが・・・。私としては現況、これだけyahooをはじめ、google、MSNなど検索エンジンが一次窓口になっているネットの世界でこれを無視するのはどうかな? と考えてます。引っかからないようにするのも、引っかかるようにするのも、どちらにしても検索エンジンの追求をどう受け止めるかであって、公開したWEBを掲載している以上、避けては通れない問題ではないかな、と思っているのです。あんまりいい例えじゃないですが、「自分の土地なんだから住宅地の真ん中でも高層マンション建てても、それが京都の歴史ある寺町通りでも構わんじゃないの?」という言い様に近くないでしょうかね。
これ以上やると深みに嵌りそうなので今回はこの辺で、本題に入ります。
6月最初の書き込みということで、テーマは「梅雨」にしてみました。今回は梅雨について調べられる限り検索してみましょう。

googleで検索 梅雨とは

まずは定義づけからでしょうか?

http://www.fukuoka-jma.go.jp/shimonoseki/shimo8.htm

梅雨とは、「季節が春から夏に移行する過程で、ある期間低気圧や前線の影響を受けやすくなり、その前後と比較して曇りや雨の日が多くなる」季節現象です。

また、
http://www.johos.com/omoshiro/bucknum/20010615A.html

梅雨とは、広辞苑(講談社)によれば「6月上旬〜7月中旬にかけて日本・朝鮮半島南部・長江流域地方(中国東部)に起る雨季」とある。

語源は、
http://gogen-allguide.com/tu/tsuyu.html

梅雨の語源・由来
梅雨は、中国から「梅雨(ばいう)」として伝わり、江戸時代頃より「つゆ」と呼ばれるようになった。
「日本歳時記」には、「此の月淫雨ふるこれを梅雨(つゆ)と名づく」とある。
中国では、黴(かび)の生えやすい時期の雨という意味で、元々「黴雨(ばいう)」と呼ばれていたが、カビでは語感が悪いため、同じ「ばい」で季節に合った「梅」の字を使い「梅雨」になったとする説や、「梅の熟す時期の雨」という意味で、元々「梅雨」と呼ばれていたとする説がある。
日本で「つゆ」と呼ばれるようになった由来は、「露(つゆ)」からと考えられるが、梅の実が熟し潰れる時期であることから、「潰ゆ(つゆ)」と関連付ける説もあり、梅雨の語源は未詳部分が多い。

よく分かってないようですが、まあなんとなく納得できる説です。
まあ「梅」とはなんの関係もないということですね。
と、思ったら・・・・こんな記事を発見。
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/00_sityo's_room/3byousi/3byousi_013.htm

「梅雨」とは、梅の実の熟するころに降る雨をいいます。五月晴れは本来梅雨の間の晴れの日を言うようです。だから五月雨とも言われます。

どこのどいつがこんないい加減なことを書いてるんだろうと思ったら・・・足利市長でした。

googleで検索 梅の実

実際に梅の実の収穫時期がいつ頃なのか調べました。
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruume/ume4.htm

青梅の実は、毎年5月中旬から6月下旬頃まで、店頭に並ぶ。

http://www.google.co.jp/search?q=cache:oqS1WYUrfxcJ:headlines.yahoo.co.jp/hl%3Fa%3D20040521-00000011-abc-l26+%E6%A2%85%E3%81%AE%E5%AE%9F&hl=ja

梅の名所として知られる京都の北野天満宮で、お正月の縁起物「大福梅」に入れる梅の実の摘み取りが、きょうから始まりました。京都市上京区の北野天満宮では、けさ10時ころから神主や巫女さんらが、境内にあるおよそ2千本の梅の木から、実を摘み取っていきました。大福梅は、京都では、平安時代の故事に因み、福を招く縁起物として正月にお湯に入れて飲む風習があります。今年は春先の気候がよく、例年より2週間ほど早い摘み取りとなりました。

この記事の日付が5月21日、ということで「例年」に換算すると、6月の第一週くらいになるでしょうか。
一方、梅雨入り宣言はいつごろなのでしょう?

http://ginjo.ld.infoseek.co.jp/03-06/03-06j.htm

梅雨に入る事を入梅と言いますが、陰暦では芒種から6日目を入梅と言います。芒種は6月6日でしたから、6月12日が暦の上で入梅です。気象庁の例年平均は6月8日が入梅です。

他にも6月8日前後の入梅が平年並み、という記述を多数発見しました。ということは・・・・・
入梅よりも梅が熟す方が微妙に早いじゃん
という結果になりました。大丈夫か? 足利市

今度は梅雨のメカニズムで検索しました
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/special/keihin25/02/question.htm

梅雨時期の日本上空では、北からの冷たい空気と太平洋側からの暖かい湿った空気が、海上や日本列島上空でぶつかり合い、冷たい空気が暖かい空気の下に入り込みます。この境目に『梅雨前線(バイウゼンセン)』がつくられます。

http://www.kobe-np.co.jp/seihei/020628ln9170.html

梅雨は、梅雨前線の活動によって起こされるのは、だれでも知っているが、日本で初めて、その梅雨のメカニズムを解明したのは、岡田武松(一八七四―一九五六)である。一九〇五年五月二十七日、日露の日本海海戦当日の天気予報を担当した明治の気象学者である。  岡田は、その日の海上は「晴れ」と予測した。だが、前日の低気圧の影響で風は強いと読んだ。「天気晴朗なるも浪高かるべし」。岡田は、そう書いて大本営に送った。それが日本海の連合艦隊に転送され有名な檄(げき)文「本日天気晴朗なれども浪高し」となった。

・・・・なんか段々面白くなってきました。今度は岡田武松で検索です。

http://www.kanko.chuo.chiba.jp/search/shousai.asp?t=2&sid=3949

岡田武松は、明治7年(1874年)に、我孫子市布佐で生まれました。明治32年(1899年)に東京大学物理学科を卒業し、中央気象台に入り、明治44年(1911年)に「梅雨論」を発表し、理学博士となりました。

なんと梅雨をテーマに論文を書いて博士になってしまった方のようです。
というわけで、今回のトップの写真は岡田武松さんです。

ところで、この岡田武松さん、台風の名付け親でもあるそうで、
英語の typhoon → タイフーン → 颱風 でタイフウにしちゃったそうです。現在では簡略字の「台風」が当てられてます・・・がなんて安直なネーミングなんでしょ。私ならもうちょっとひねって・・・「多移不運」とか、ああ橋の下の落書きになっちゃうか。