第百四十七夜 ネットの功罪

http://www.asahi.com/national/update/0828/018.html

メル友から「死にたい」…プロバイダー協力し救助

ドキッとする記事です。よく読んでみると・・・・、

住所を知らない知人から自殺をほのめかすメールが届いた――。東京消防庁が今月24日、こんな119番通報を受けた。プロバイダーの協力で東北に住む知人の住所を突き止めて、現地の消防署員が現場に急行、一命を救った。プロバイダー側は「個人情報は法的根拠がない限り原則的に出さないが、今回は人命がかかわる緊急事態と判断した」と話している。

てな感じで一見「ああ良かったね!」という明るい記事に見えます。
 
ほんとのところはどうか分かりませんが・・・。 
 
 
ネット上では原則的には秘匿性があるものです。本気のハッカーにかかればIP抜くくらいは出来るでしょうが、住所や氏名まではそう簡単には探せません。団探偵くらいならやってのけるのかもしれませんが。
今回の事件にはいくつもの側面が見えます。
それが容易く破られたという意味、がまず挙げられます。つまり同様の手口を持ってすれば誰でもメールアドレスから住所を探す手段が無いわけではない、ということ。
 
死にたい、という遺書めいた文章を送ることによって自殺が阻止されうる、という可能性。
(もしかしたらメル友が留めてくれることを期待したメールだったのかもしれませんが・・・、そうでないとしたら逆に悲劇かもしれません。・・・・、あ、私は自殺肯定論者ではありませんよ。念のため)

この記事を読んだ自殺願望を持った人が阻止されるのを恐れてメル友にすら相談できない、と余計に内に篭ってしまう可能性・・・
 
他にもひっかかるところは幾つもあります。
ネットがこれだけ偏在し、ユビキタス社会が間近(ほんとか?)に迫っている現在では、個人の意思がネットの意思によって阻まれる可能性があるということです。それが善意の第三者による行動だったとしても。
 
みんなが繋がっている社会、それがユビキタスのホントーの姿だと思うのですが、昔の向こう三軒両隣の世界ではなく、顔を知らない世界中の人と繋がり続けている社会、危険もあり弊害もあるでしょう。
 
逆に歯止めを掛けることによって「人と人がよりよい状態で繋がっている社会」をユビキタスには期待したいところです。
 
 
 
そういえばニュータイプってそういうのの走りだよなあ・・・冨野先生は偉大だ。